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「塾の子」たちへ~受験生に贈る言葉~

 いよいよあと数日で、東京・神奈川の中学入試が開幕します。6年生諸君はいうまでもなく、ご両親・ご家族の皆さんも、緊張と不安で胃がキリキリと痛む日々を過ごしていることと思います。もちろん私たちも同じ。残り僅かな日々で、何をするべきなのか、何をしてあげられるのか、教え子たちの顔を思い浮かべては毎晩眠れない夜を過ごしています。

この時期になると、必ず読み返す一冊の本があります。それは池澤夏樹さんの『キップをなくして』(角川文庫)。初出は2005年7月。ちょうどその翌年の2月に我が子が中学受験を迎えたということもあり、当時の6年生対象の「最終保護者会」でこの本のことを語ろうとしたとき、教師としての思いに、「受験生の父」としての思いが重なり、不意に涙があふれてきて、最後まで話すことができなかったことが今でも忘れられません。

このコラムを愛読していただいた保護者の皆さんに御礼を申し上げるとともに、お子さんたちの健闘と志望校への合格を祈念して、激励のメッセージを贈りたいと思います。 


『キップをなくして』は、多くの中学で入試問題の素材としても取り上げられた有名な物語ですから、読んだことのある人も多いでしょう。

ある日、電車に乗って買い物にでかけた主人公の少年は、改札口でキップをなくしたことに気づきます。すると知らない女の子がやってきて、「キミ、キップをなくしたんでしょ? キップをなくしたら、駅からでられないの」といいます。主人公は何がなんだか訳のわからないまま、同じようにキップをなくした子どもたちと一緒に「駅の子」として、駅のなかで共同生活を始めます。

最初にこの「駅の子」という表現がでてきた瞬間に、教え子の顔が頭に浮かんできて、ああみんなは「塾の子」なのかも知れないなと思い、それだけで何故だか胸がいっぱいになって、ぽろぽろ泣けてきました。

「駅の子」たちは決して家や学校が嫌いで逃げ出したわけじゃなくて、帰ろうと思えば、駅員さんに「キップをなくしました」といえば改札口をでて、家に帰ることができます。でも彼らは、「何かまだ仕残したこと」があるように思えて、駅に止まるのです。駅というのは「通過点」に過ぎません。確かにそこで暮らそうと思えば、売店だってレストランだって救護室だって、必要なものは何でもそろっているけれど、でもあくまでも出発地から目的地まで行く途中に、あくまでも通りすぎるだけの場所。だけどそこでいろんな人が出会い、すれちがい、いろんなドラマが生まれる。

「駅の子」の仲間たちのなかには、わがままだったり癇癪もちだったり、友達がいない寂しい子どもだったり、実はもう列車事故で死んでしまった子も混じっています。でも「駅の子」たちは不思議な連帯感をもって、お互いに協力しあい、駅で困っている他の子どもを助ける仕事をしながら、一緒に暮らしていきます。

塾の中にも、ムカツク奴もいただろうし、ちょっとした嫌がらせや悪口などでイヤな思いをしたことがあるかも知れません。それより、先生に怒られたり、テストの成績でクラスが下がったりするほうがずっとイヤだったかな? でも、学校の勉強よりもずっと厳しくて、毎日毎日勉強ばっかりで、ストレスだってずっとたまるはずの塾が大好きで、学校は休んでも塾は絶対に行くという子がほとんどだったと思います。

思えば、本当に長い道程でした。君たちも「もう受験なんかやめちゃおう。もっと遊びたいよ」と何度も思っただろうし、どれだけ叱っても勉強しない、成績は順調に下降する、「ウチの子にはやっぱり受験は無理なのかしら」と悩まれた保護者の方々も大勢いらっしゃるでしょう。

でも、君たちは最後までこうして通い続けることができた。そしてこんなに立派に成長し、たくさんの仲間に囲まれ、あと少しで「改札口」をでられるところまできたのです。もうそれだけで私は、君たちと君たちを支えてくれたご両親に拍手を贈りたい気分です。このままずっと「塾の子」でいてくれてもいい、と思うくらいに。でもやっぱり塾は「通過点」。目的地があるからこそ通過点があるのであって、君たちはあと数日でこの「駅」を巣立っていくことになります。

君たちはもう、「何かまだ仕残したこと」が何なのか。何のために「塾の子」になったのか。これからどこに向かって進んでいくのか、もちろんわかっているでしょう。物語のなかの「駅の子」たちは最後に皆で大冒険をし、辛い別れをし、ひとつ大人への階段を上って、改札口をでていきます。君たちも、これからあとちょっとだけ、辛い日々と大きな試練を乗り越えなければなりません。でも、ここまでくれば大丈夫。みんなが見守ってくれている。仲間がいつも傍にいる。だから胸を張って、自信をもって、最後の一歩を踏み出しましょう。そうすればきっと、改札口の先には満開の桜が咲いているはずです。

受験生の保護者の皆さん。

私たち教師は、これから改札口をでていく教え子の後ろ姿を見守り、励まし、ベストの状態で最後の試練に臨ませるべく、残された仕事に全力を尽くします。だから、あとちょっとだけ、我慢して待っていてください。そして、桜の咲く坂道をかけおりて、家の扉をあけ、元気な声で「ただいまっ」と帰ってくる子どもたちを、あたたかく迎え入れてあげてください。

満開の桜の下で、満開の笑顔をたたえた「塾の子」たちと、そして苦労をともにしてきたご両親・ご家族の皆様と再会できることを、心より祈念しています。本当に長い間、ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。人生最高の笑顔で、心の底から「おかえりっ」と言ってあげるために、勇気を振り絞って、世界じゅうの桜の花芽がびっくりして目を覚ますくらいに元気な声で、子どもたちを送り出してあげましょう。

「さあ、行ってらっしゃい!」と。

中学受験を終え、笑顔の子どもたちを出迎えることができたとき、ひょっとしてこのコラムが、幾許かでもお役に立てたと思っていただけるのであれば、それに勝る喜びはありません。喜びの声や感想などをお寄せいただければ幸いです。